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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)710号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録一記載の建物について、昭和六三年二月一六日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  被告は、原告に対し、別紙物件目録二記載の土地について、右同日売買を原因とする持分一部移転登記手続をせよ。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨(但し、登記原因たる売買の日付はいずれも昭和六一年四月一七日)

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、被告から、昭和六一年四月一七日、別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)及びその敷地である同目録二記載の土地の共有持分(以下「本件土地」という。)を代金一億五〇〇〇万円で買い受ける旨の契約(以下「本件売買契約」という。)を締結した。

2(一)  仮にそうでないとしても、原告は、前同日、被告を承諾義務者として、被告から、本件建物及び本件土地を右同日から二年以内に代金一億五〇〇〇万円で買い受ける旨の売買一方の予約(以下「本件売買予約」という。)を締結した。

(二)  訴外大矢内蔵司(以下「大矢」という。)は、昭和六二年一〇月一九日、原告の使者として、口頭で被告の代表取締役本荘修(以下「本荘」という。)に対し、本件売買予約を完結する旨の意思表示をした。

(三)  仮に右予約完結の意思表示が認められないとしても、原告は、被告に対し、昭和六三年二月一六日送達の本件訴状で本件売買予約を完結する旨の意思表示をした。

3  よって、原告は、被告に対し、第一次的に本件売買契約に基づき、第二次的に本件売買予約に基づき、右売買を原因とする、本件建物について所有権移転登記手続を、本件土地について持分一部移転登記手続をそれぞれすることを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は否認する。

2  請求原因2(一)の事実のうち、昭和六一年四月一七日、原告と被告との間に本件土地、建物について、予約完結権の行使期間を二年間とする売買予約の締結されたことは認めるが、右売買予約が被告を承諾義務者とする売買予約であるとの主張は否認する。右売買予約においては、被告のみが予約完結権を有するとの約定であったのであり、売買代金額についても否認する。

3  請求原因2(二)・(三)の事実はいずれも否認する。

三  抗弁

1  契約解除(本件売買契約について)

仮に本件売買契約が原告と被告との間に成立したものとしても、手付金の授受のない売買契約においては、各当事者は、相手方が契約の履行に着手するまで無条件にこれを解除することができる。

そこで、被告は、原告に対し、昭和六三年五月一六日の本件第二回口頭弁論期日に陳述の同日付準備書面をもって本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。

2  事情変更に伴う契約の失効(本件売買契約ないし本件売買予約について)

仮に本件売買契約ないし本件売買予約が成立したものとしても、本件土地、建物の価額は、契約締結後何人も予想し得なかった異常な高騰を示し、昭和六三年七月一日の時点で既に本件売買契約ないし本件売買予約の代金額の三倍をはるかに超える金五億八〇六四万四〇〇〇円に達した。

したがって、被告をして当初の約定売買代金額金一億五〇〇〇万円をもって本件売買契約ないし本件売買予約を履行せしめることは著しく正義に反し、本件売買契約ないし本件売買予約は事情変更により失効したものというべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はいずれも否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  先ず、果たして原告主張のとおり、原告と被告との間に本件土地、建物について売買契約が成立したか否かについて判断する。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告と被告は、昭和六一年一月初め頃から被告所有の別紙物件目録〈略〉三記載の建物とその敷地である同目録四記載の土地の共有持分(以下両者を併せて「件外物件」という。)の売買について、売主の被告を訴外株式会社日本財形住宅協会が、買主の原告を訴外三井信託銀行株式会社がそれぞれ仲介して交渉を開始した。

その後、右仲介者同士だけでなく、原告側では原告の顧問弁護士である原告訴訟代理人近藤節男(以下「近藤弁護士」という。)と原告の代表者藤沢昭和が、被告側では被告の常務取締役三浦正夫がそれぞれ中心となって交渉が重ねられた。

2  本件土地、建物は、件外物件に接続する形で建てられている鉄筋コンクリート造スレート葺四階建建物の一階部分及びその敷地の共有持分権であり、訴外トヨタ東京カローラ株式会社が、昭和六〇年四月一八日から、期間を二〇年間とし、被告がその所有権を他へ譲渡せんとするときには、先ず同社に対して買受の申し入れをしなければならないとするいわゆる先買権の約定付で、これを所有者の被告から賃借し、自動車のショールーム及び事務所として使用していた。

原告は、当初から賃借期間及び先買権の点等契約内容の詳細を除いて以上のことを知悉していたが、最初から本件土地、建物と件外物件の一体的利用を企図し、場合によっては右トヨタ東京カローラ株式会社の立退交渉は買受後自ら行ってもよいとして、件外物件と共に本件土地、建物を購入することを強く希望し、そのことを株式会社日本財形住宅協会を通じて、買受希望額金七〇〇〇万円ないし八〇〇〇万円と共に被告側に伝えていた。

3  しかし、三浦正夫は、最初は件外物件と本件土地、建物を一括して売却してもよいかのような態度を示したこともあったが、具体的に契約締結交渉が進展するに従い、トヨタ東京カローラ株式会社との間の賃貸借契約の賃借期間及び先買権の条項等を考慮して、本件土地、建物の売却に消極的な態度を示すようになった。

一方で、三浦正夫は、トヨタ東京カローラ株式会社との間の賃貸借契約の右のような約定内容を秘匿し、原告のみならず被告の仲介者株式会社日本財形住宅協会に対しても、賃貸借契約書(〈証拠〉)を示してこれらの点について明確な説明をするといったことをしなかった。そのため、事情を知らない原告は、一貫して被告に対し、本件土地、建物の購入を求めて交渉していた。

4  そうするうちに、昭和六一年二月下旬ないし三月初め頃になって、原告と被告との間で件外物件の売買代金額を金三二億円とすることでほぼ話がまとまり、その頃被告側から原告側に本件土地、建物の代金額を金一億五〇〇〇万円とする旨の案が提示された。右代金額は、被告側で将来における本件土地、建物の値上がりを見越して決定したものである。

5  三浦正夫は、右の話を確認する意味で、同年三月七日、近藤弁護士らに対し、「確認事項」と題する書面(〈証拠〉)を交付したが、同書面には、「1 ヨドバシカメラ(原告)は、本荘(被告)から、トヨタ東京カローラ入店部分を除いた施設部分を買い受ける。2 価格は、三二億円とする。3 トヨタ東京カローラ入店部分について、ヨドバシカメラは一年内ないし二年後までの間に一億五〇〇〇万円で別途買い受けたい希望をもっており、この間に本荘が当該部分を売却しようとするときは、他に優先して交渉できるものとする。」旨の記載がある。

6  原告と被告との間で同月一一日「覚書」と題する書面が調印されたが、同書面には、「乙(原告)は甲(被告)が現にトヨタ東京カローラに賃貸している末尾記載物件の表示2の不動産(本件土地、建物)について、今後二年以内に売買代金金一五〇、〇〇〇、〇〇〇円也にて甲から買受ける希望を有しており、この間に甲が物件の表示2の不動産を売却しようとするときは、乙は他に優先して甲と売買の交渉をなし得るものとする。」旨の記載がある。近藤弁護士は、被告側に対し、右記載のみでは原告が購入できるという保証がないので、正式の契約調印までにきちんとした表現にするよう要請した。

7  同年四月一五日又は一六日頃、株式会社日本財形住宅協会から近藤弁護士に対し、被告が本件土地、建物を代金一億五〇〇〇万円で件外物件と共に売却することを承諾したので、同社において両者の売買契約書案を作成する旨の報告があり、近藤弁護士も右契約書案の作成を同社に任せることにした。

8  原告と被告は、同月一七日、仲介者ら交渉関係者が一同に会して件外物件を被告が原告に金三二億円で売却する旨の不動産売買契約書(〈証拠〉)と一緒に「覚書」と題する書面(〈証拠〉)に調印した。右覚書には、「第1条 甲(被告)は乙(原告)に対し、本件土地、建物を本日から二ケ年以内に売買代金一五〇、〇〇〇、〇〇〇円で売渡す。乙は、これを買受ける。第2条 前条により乙が本物件の所有権を取得した時は、乙は、甲とトヨタ東京カローラ間の本物件に関する賃貸借契約に基づく賃貸人の権利・義務を承継する。」旨の記載がある。

近藤弁護士は、右記載を簡略なものとは考えたが、売買契約書の最低限の要件を満たしているものと判断し、件外物件の前日からの売買契約書の調印交渉が紛糾して既に長時間が経過していたこともあって、その場に出席していた原告の代表者に右覚書にも調印するよう進言し、調印がなされた。右調印に際して、三浦正夫は、事前に株式会社日本財形住宅協会から右覚書に何とか調印してほしい旨依頼されており、被告側から格別の留保は付されなかったし、特段の話合いもなされなかった。

9  件外物件の代金三二億円の決済は、右不動産売買契約書調印と同時にその場でなされたが、本件土地、建物の代金の決済は、その場ではなされなかった。

10  その後、被告から連絡がないため、昭和六二年一〇月一九日、原告の代表者藤沢と被告の代表者本荘の双方に面識のある不動産鑑定士大矢が、原告側から要請されて、右本荘と面談して交渉したが結局埓が明かなかった(三浦正夫から右本荘に対し本件一連の経緯について如何なる報告がなされていたのかは証拠上なお判然としない。)

以上の事実が認められ、〈証拠〉は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、なるほど前記昭和六三年四月一七日付覚書の文面に照らしてみる限り、本件土地、建物を代金額金一億五〇〇〇万円で、原告が「買受ける」、被告が「売渡す」とされており、本件土地、建物の所有権の移転と代金の支払いについての合意があるようにみられないではない。

しかしながら、被告は、具体的な契約締結交渉に入った段階から前記昭和六三年四月一七日付覚書調印直前の時点まで一貫して原告に本件土地、建物の先買権を与える、いわゆる先買契約の締結を企図していたものというべく、また、本件土地、建物のような相当高額の土地建物の売買にあっては、代金支払・所有権移転・引渡・所有権移転登記の各時期・方法等の詳細のほか過怠約款等を定めた上、売買契約書を作成し、少なくとも手付金もしくは内金を授受するのは、相当定着した慣行であることは顕著な事実であるところ、右覚書にしても、表題が「覚書」とされているだけでなく、前記件外物件の不動産売買契約書(〈証拠〉)と対比しても、売買の本契約の契約書としては余りにも簡潔に過ぎ、その記載内容についてみても、「本日から二ケ年以内に」、被告が売渡し、原告がこれを買受けるなど多義的解釈の余地を残すものとなっているのであり、更に件外物件の売買代金三二億円は契約書調印の場で即座に決済されているのに、本件土地、建物に関する一億五〇〇〇万円は未決済のままとされ、その後も原告において大矢鑑定士が被告の代表者本荘と面談交渉するまで、契約の履行を求めて具体的な挙動に出た形跡は窺われないのである。

そうすると、前記昭和六三年四月一七日付覚書上の代金一億五〇〇〇万円という金額が被告側から提示された金額そのままであること、右覚書において「予約」の文言そのものは使用されていないこと、株式会社日本財形住宅協会の事前の報告内容、前記覚書調印時の状況等の諸事情を考慮してもなお、原告の意図は格別、被告が右覚書調印の時点で原告との間に確定的に本件土地、建物の売買契約を締結する意思を有したものかについては、疑念を完全に払拭できず、結局本件売買契約の成立を肯認することはできないといわざるを得ない。

したがって、本件売買契約の成立を前提とする原告の第一次的請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

二  そこで、本件売買予約及びその完結の成否について判断する。

前記昭和六一年四月一七日付覚書調印の時点において、本件土地、建物について原告と被告との間に予約完結権の行使期間を二年間とする売買予約が成立したことは当事者間に争いがない。

しかして、前項に認定説示した右覚書の記載内容及びその調印に至る一連の経緯によれば、三浦正夫ら被告側担当者の内心の意図が奈辺にあったかは別として、右予約は、原告に予約完結権を与える趣旨のものであり、民法五五六条一項が規定する売買一方の予約と解するのが相当であり、予約上の権利者(原告)が予約上の義務者(被告)に対して予約完結の意思表示をすれば、義務者(被告)の意思表示をまたずに、その時点で本件土地、建物について前記代金額一億五〇〇〇万円で売買契約が成立するものといわなければならない。

被告は、本件売買予約においては被告のみが予約完結権を有するとの約定であった旨主張するが、本件全証拠によるもなおそのように認めるに足りる証拠はない。

進んで、予約完結権の行使の成否について検討するに、原告は、大矢が、昭和六二年一〇月一九日、原告の使者として、口頭で被告の代表者本荘に対し、本件売買予約を完結する旨の意思表示をしたと主張するが、大矢と本荘が同日面談したことは前記認定のとおりであるが、当日両者の間でいかなる話合いがなされたのかは証拠上判然とせず、前同日原告において本件売買予約の予約完結権を行使したものと認めるのは相当ではない。

しかしながら、予約完結の意思表示は何らの方式も要せず、訴えの中でもなすこともできるというべきであり、原告の本件訴えは、その訴旨に照らし右予約完結の意思表示を包含するものと解することができ、本件訴状が前記約定の予約完結権行使期間内である昭和六三年二月一六日被告に送達されたことは本件記録上明らかである。

そうすると、右予約完結権の行使により、原告と被告との間に前同日本件土地、建物について売買代金額を一億五〇〇〇万円とする売買契約が成立したものというべきであるし、原告の本件訴えは、被告に対し、右売買を登記原因とする所有権移転登記手続ないし持分一部移転登記手続を求める趣旨をも含むものと解される。

三  被告の事情変更による本件売買予約の失効の抗弁について判断するに、〈証拠〉によれば、本件土地、建物の取引価額は、本件売買予約が成立した当時からみると、大幅に高騰しており、昭和六三年七月一日の時点における鑑定評価額は金五億八〇六四万四〇〇〇円に達していることが認められる。

しかしながら、本件売買予約の完結時における時価が、右予約締結時に定められた約定代金額の四倍弱の程度になり、それが当事者双方の責に帰することができず、しかもその予想を超えた事情に起因するものであったとしても、右約定代金額自体、前記認定のとおり、被告側で予約完結権行使期間内の地価上昇をも見越して原告側に提示したというのであり、以上の事情を彼此考較するときは、原告が思わざる利益を得ることになるとしても、他に特段の事情のない限り、本件売買予約の完結権の行使が信義則に反して許されないと解することはできない。

四  以上の次第で、本件売買予約の完結に基づき、被告に対し、本件土地、建物について持分一部移転登記ないし所有権移転登記を求める原告の本訴第二次的請求は理由があるから正当として認容し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小澤一郎)

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